
+ONE(もう一つ)の家づくり・・・・・生活提案の家造り
“家だって働きたい”(なんか昔、聞いた様なコピ−・・・・TOTOのお尻だって洗ってほしいですよね。) 家なんて住宅ロ−
ンの厄介者、だって、なにも生産していないじゃないか・・・・バブル時代によく言われた言葉。でも違いますよね、じっさいは企
業戦士の安息の場、それよりなにより、人生の唯一最大の創造物、子供を創造する場ではないですか。でも表だってこんな
事を言う人はいないし、結局は裏方。だから言うのです、家だって表立って働きたいと・・・・こんな事はどうでしょうか?
誰しもが持っていた、“幼い頃の夢”・・・・君は将来なにになりたい?−お花屋さん、ケ−キ屋さん、美容院、デザイナ−
(但し服飾)、パン屋さん、レストラン、先生から大工さん等、きりが有りませんが、大人になり、今でもそんな夢を持ち続けて
いる人は少ないかも知れません。また、一方に突然の会社倒産、事故やリストラに暗澹たる思いの人。そんな人が唯一帰れ
る場所は、何も生産出来ず、何も言わなかったはずの家ではないでしょうか。だからこそ、そこから出発(たびだ)てるのです。
人様々、夢を叶える人、危急に備える人、出発は、僅かな空間でいいのです。
今、家を建てるなら、リフォ−ムをするのなら、+ONEの場所を用意しておいたらいかがでしょうか?
それは、今はビルトイン車庫でも将来は?、いつも居眠りをしているお父さんの書斎、なんでも出来そうな広い玄関、同じく
昔あった広い縁側、プロ仕様のキッチンに広い食堂あるいは道に繋がるテラス、それは小屋裏でも地下室でも良いのかもし
れません。考えればもっと色々なアイデアがあると思います。
■昔の家は?
今から思えば、無駄と思える空間は昔からありました。農家や町屋の玄関につながる広い土間、家を巡る広い縁側、効率
の悪そうな台所、幾重にも重なる巨大な吹抜けや小屋裏部屋、そこは本当に、無駄な空間だったのでしょうか?
大家族だったという事も?・・・・でもそうでは無いようです。サラリ−マンが大勢を占めるようになった(職場と家が分離した)
のは、戦後でしょうか。そうなのです、昔の家は、職住近接、いや職住一致でした。農家や商家の土間、長屋の職人の土間も
生産の場でした。今、まさにはやりのSOHOは、当時は家総体が物創り(生産)の場だったのです。
そんな家で育ってきた方も、まだいらっしゃると思いますが、以下はいくつかの例です。いずれも、土間がいろいろな意味で
重要な役割を担っているのがお解かりとおもいます。
1)東京・保谷の農家(1937年・今和次郎集第3巻-「民家採集」より)
田の字型に近い、標準的な農家の間取り。
私の生まれは横浜ですが、当時の農家の
間取りは、規模の違いは有れ、概ね同様
であったと記憶しています。
土間にはかまどが置かれており、物置部
分は牛がいる家もありました。
土間
平面図
断面図
配置図
2)伊豆大島の民家(1922年・今和次郎集第3巻-「民家採集」より)
土間・茶の間をを中心に小さな寝室・納戸を配した、こじんまりとした漁業兼業農家。
この時代の大島では、家の息子が結婚するとその両親や兄弟は別居する慣わしで
あったという。隠居所は屋敷の隅か、ずっと離れてその本宅より、やや小さく造り、
そこで、息子の世話にならず、独自に暮らしたという。
生存の為の約束ごとなのでしょうが
現代とは、逆の核家族化の住宅で
すね。
水の乏しい大島では、屋根の雨水を、
タンクに溜めておいて、使い水にして
いた。飲み水は湧水を共同井戸とし
て用い、朝夕、女たちが水桶を頭上
に載せ汲みに集まる。
土間
平面図
断面図
俯瞰図
3)有田の町屋-井出家(
有田地域住宅研究会編-「有田内山景観カタログ」より)
井出家は元地主で、建築年代は、1869年(明
治2年)。
土間は店に繋がる表の間と格子戸に仕切られ
た座敷に繋がる中の間に分けられており、更
にその奥に井戸のある土間がある。
4)有田の町屋−松本家(有田地域住宅研究会編-「有田内山景観カタログ」より)
松本家は奥行き4室型で、明治期を代表する
町家である。
店と住宅の入口である土間は完全に分けら
れている。
土間は広い玄関となっている。
土間
1階平面図
2階平面図
街路
土間
1階平面図
街路
2階平面図
ファサ−ド
ファサ−ド
勝手
物置
寝室
納戸
茶の間
台所
流し
廊下
「INDEX」
5)奈良・法蓮の家(1922年今和次郎集第3巻−「民家採集」より)
ここの村は、大部分農家であ
るが、家々は町屋のような体
裁につくられている。土塀に囲
まれ日常生活機能が整然と配
置されており、それを結んでい
るのが土間である。道路とは
堆肥舎で別けられているが、
前・中庭・後庭とこれも土間で
繋がれており、日常生活機能
を完璧に備えたたコ−トハウス
といえましょう。
道路に面して堆肥舎があるの
は、唯一その職能を現している
ものと思われます(農場との往
来に便利)。
蔵
6)剣山の麓の旅宿(1941年・同じく「民家採集」より)
今和次郎氏が四国祖谷村へ平家の落武者の村を調べ
に行った時、峠の小部落に一泊した時の旅籠。
断崖絶壁の上に支柱支えられた4層の万屋。最上階の
客室は揺れたらしい。構造的にはともかく、たくましい生
活力を感じる建物です。この時代まだ人糞が貴重品で
あったことがうかがえます・・・・・ちょっと一服。
断面-1
断面-2
土間
土間